分類記号:B0-85
多田輝利は明治末に渡道し、1927(昭和2)年から1947(昭和22)年まで興部村会議員を務め、その後民選第一号の興部村長に就いた。一方の木下成太郎は、1900(明治33)年の厚岸町会議員を皮切りに、道会議員、衆議院議員(政友会)を務めた政界人。書簡は、昭和戦前期に、当時村会議員であった多田に宛てて衆議院議員木下が書き送ったもので、雄武線の敷設請願などの要望に応え、木下が中央政界で尽力していた状況がうかがえる。
1930(昭和5)~1936昭和11)年
10 点(複製)
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