分類記号:B42
近江国八幡町に生まれた初代西川伝右衛門は、松前城下に[ナカイチ]住吉屋を開き藩の御用達となっていたが、1661(寛文7)年藩家老の意見により蝦夷地西海岸を探査し、忍路・高島場所を開き、場所経営を始めた。その後西川家は、茂入場所や磯谷・歌棄場所、エトロフ場所(共同)の請負も命ぜられて代々隆盛を極め、しばしば藩に多額の献金を行い、また私財で山道の開削を行うなど蝦夷地開発に貢献した。1869(明治2)年に場所請負人廃止となるが、十代貞次郎は忍路・高島の事業の大部分を継続し、北海道の拠点を福山から忍路・高島に移した。貞次郎は1881(明治14)年に郷里に八幡銀行を設立して頭取となるが、その後事業の失敗などから次第に縮小していく。
資料は、江戸期では忍路・高島場所の調書、用留などの場所経営書類が多く、維新後は役所への伺・指令を綴った西川忍路支店の文書や漁場台帳、浜益郡の漁場実測図、西川貞次郎のまとめた西川家沿革などがある。
小樽博物館所蔵資料の複製。西川家文書は他に、滋賀大学経済部附属史料館、滋賀県立大学図書情報センターにも所蔵されている。滋賀大学経済部附属史料館では『西川伝右衛門家文書総目録』を発行しており、滋賀県立大学図書情報センターのホームページ上では、西川家文書の目録が公開されている。
1822(文政5)~1921(大正10)年
60点(複製)