分類記号:B0-119
松本十郎は元庄内藩士で、1869(明治2)年に黒田清隆に推薦され開拓判官(根室詰)となった。1872(明治5)年10月に黒田次官と岩村大判官とが意見衝突し、松本は同14日から札幌本庁兼務となる。翌1873(明治6)年1月に岩村が辞職すると、その後を受けて札幌本庁主任、開拓大判官に任ぜられた。札幌本庁では、綱紀粛正や官吏の大幅減員などで負債をなくす一方、緊縮政策で不景気となった札幌の景気回復のため救済工事を実施し、また農民の保護対策に力を尽くした。1876(明治9)年6月、黒田長官は松本の地方視察中に、宗谷に移住させていた樺太アイヌを強制的に対雁(江別)に移させ、松本はこれに反対して郷里の鶴岡に帰省し辞表を提出、その後は農耕と著述で余生を送った。
資料は、子孫の松本家(山形市)所蔵資料を複製したもので、1869(明治2)年8月の開拓判官任官当初からの公務日記。札幌本庁主任となった1873(明治6)年末までの記述がある。
1869(明治2)~1873(明治6)年
13点(複製)
参考:北海道史編集資料(文書等の部)中に、「空語集」などを含む松本十郎関係文書がある。