分類記号:B81
茅部郡臼尻村(のち南茅部町内、現函館市南茅部)で漁業を営んでいた小川家の文書。青森県下北地方出身の小川幸吉は、1801(寛政13)年に北海道に渡り、2年後に独立、1806(文化3)年に鰮(いわし)の曳網漁を始め、1839(天保10)年に尾札部の飯田与五左衛門と鮪(まぐろ)の大網をつくり、幸吉は弁天島の沖合に設けた。これが、北海道における建網大謀網の創始とされる(『南茅部町史 上巻』P830)。
臼尻村では、安政年間頃から共同で村網を設けていたが、小川幸吉の鮭網立場と接することから、村網方と小川との間で境界や漁業権をめぐって1860(万延1)年に係争が生じた。この紛争は、1885(明治18)年に村網側の敗訴で決着するが、資料はこの間の申立書や漁場図など、係争に関わるものが大半である。ほかに、三代目小川幸一郎の時代の漁業権などに関する文書がある。
南茅部町(現函館市)所蔵文書をマイクロフィルム複製した。
1861(万延2)~1933(昭和8)年
46点 (複製)
参考:村網との係争については、『南茅部町史 上巻』P880~899に史料も含めて詳細な解説がある。