分類記号:B0-139
安達喜幸は開拓使を代表する建築技師。1827(文政10)年に江戸芝の大工棟梁の家に生まれ、44歳で官途に転じた。1871(明治4)年に工部省会計局営繕方附属、続いて同年11月に開拓使御用係を拝命して札幌詰となり、開拓使札幌本庁竣功(明治6)にかかわった。1874(明治7)年に上席となってからは、札幌農学校農園模範家畜房(明治10)、札幌農学校演武場(同11年)、豊平館(同14年)など、一連の洋風建築の設計建築を主導した。開拓使廃止後は工部省札幌工作場管理局に勤務して、引き続き主要建築物の設計・施工を担い、1882(明治15)年10月頃から根室県庁舎新築の準備にあたるが、その完成を待たずに1884(明治17)年1月に家族が住む東京で病死した。
資料は、最後の仕事となった根室県庁舎の建築準備にかかる簿冊1点で、予算要求の控えなどが綴られている。
ほかに、小版の錦絵を補強する裏紙として使用されていた断裁紙が多数あり、幕末~明治初頭に江戸芝の棟梁であったときに作成された、大工関係の記録断片と推定される。
幕末~1883(明治16)年
68点