北の総合診療医 - その先の、地域医療へ(市立稚内1)

市立稚内病院

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2021.03.26 記事

プロフィール
岩手県陸前高田市出身
1983年に北海道大学医学部を卒業後、同大学第三内科に入局
関連病院勤務や米国留学を経て、1997年から市立稚内病院に赴任、2013年に院長、2015年から稚内市病院事業管理者を兼ねる
資格
日本専門医機構 特任指導医・プログラム統括者
臨床研修プログラム責任者・臨床研修指導医
日本内科学会 認定内科医・総合内科専門医
日本消化器内視鏡学会 専門医・指導医
日本消化器病学会 消化器病専門医
日本血液学会 認定血液専門医・指導医
日本がん治療認定医機構 がん治療認定医
日本肝臓学会 認定肝臓専門医
日本プライマリ・ケア連合学会 認定医・指導医
日本ヘリコバクター学会 ピロリ菌感染症認定医
日本医師会 認定産業医
ケアマネジャー
医学博士
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最北の2次医療圏で唯一の総合病院
あらゆる疾患に対応する総合診療医育成の最適環境

日本最北の病院である市立稚内病院は、利尻・礼文の離島を含む10市町村からなる宗谷2次医療圏で唯一の総合病院です。宗谷圏は京都府に匹敵する4,626㎢という広い面積を有しますが、人口は6万人余り。医師不足が激しい全国有数の地域でもあり、最新の「医師偏在指標」は108.4、道内のみならず、全国335医療圏の最下位です。同病院は圏域唯一の総合病院・2次救急医療機関として、この地域で病気になった人のほとんどを受け入れるため、あらゆる疾患に対応しなければなりません。しかし、常勤医数が充足しているわけではなく、総合診療医の確保に力を入れ、「日本最北端総合診療医養成プログラム」を開設しています。「当院は総合診療医の育成に最適な環境」と語る國枝保幸院長にお話をお聞きしました。(インタビューは2020年12月、オンラインで行われました)

圏域の救急患者が集中、循環器内科医の不在が課題

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市立稚内病院は2004年の新医師臨床研修制度開始以降、大学からの派遣引き揚げで医師が減り、制度開始前に40人以上いた常勤医師数が一時は30人を切りました。現在は初期研修医を含めて33人。診療科は21ありますが、固定医がいない診療科が増えており、常勤医がいるのは内科、外科、小児科、整形外科、産婦人科、皮膚科、眼科、精神科の8科です。循環器内科は2011年から常勤医不在で、出張医による外来診療のみの体制が続いています。通常、どの圏域も夜間・休日は開業医が交代で初期救急を担いますが、宗谷圏は開業医が少なく、輪番制がありません。したがって、市内の初期救急患者はもちろん、圏域の2次救急患者のほとんどが送られてきます。こうした地域は全国的にも珍しい一方、「病院が少ないので、たらい回しは一切ありません」と國枝院長は言います。

循環器内科は常勤医がいないため、急性心筋梗塞等の心臓疾患の患者は、「隣の名寄市立総合病院まで運ばなければなりません」と國枝院長。隣といっても、稚内市から名寄市までは距離が約170kmあります。救急車で2時間半以上、ヘリでも1時間以上かかります。市立稚内病院で対応できない救急患者は年間100件程度が転院搬送されており、心疾患が6~7割を占めています。名寄に救急車で運ぶ場合は医師が同乗し、往復で約6時間以上拘束されます。平日の日中は両市の中間地点である上川管内中川町で、名寄市立総合病院の循環器内科医が乗ったドクターカーに患者を引き渡し、搬送時間は半分程度に減らせますが、それでも医師の負担は過大です。

道北ドクターヘリを要請しても、基地病院がある旭川市からは燃料タンクの都合で、稚内まで直接来ることができません。そこで稚内から南に約40km離れた豊富町のヘリポートまで、医師が同乗して救急車で運び、ヘリは給油後に名寄へ向かいます。しかしヘリは、夜間や悪天候時には運航できません。2019年から、名寄市立総合病院からの出張医の滞在日に急性心筋梗塞患者が搬入された場合、PCI(経皮的冠動脈インターベンション)を行えるようになりましたが、それも月8日程度です。國枝院長は「結局、医師を確保することが地域医療を守るためには重要」と強調します。

地域と連携して、
総合診療医養成プログラムを設置

市立稚内病院では医師確保策の一環として、独自に総合診療医の養成プログラム「日本最北端総合診療医養成プログラム」をつくりました。2018年度に始まった新専門医制度でも、専門研修プログラムとして認められています。同病院にない診療科や救急医療等は名寄市立総合病院、訪問診療は市内の道北勤医協宗谷医院と連携します。宗谷医院は日ごろから市立稚内病院の内科カンファレンスに参加し、同病院が宗谷医院の在宅医療の後方支援を行っています。プログラムでは他に、稚内からフェリーで約2時間の礼文島にある、礼文町国民健康保険船泊診療所で離島医療を学ぶこともできます。2020年度に初のプログラム履修者が誕生しました。

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現在、都市部の大きな病院では内科が完全に専門分化しているため、専門以外の患者を診る医師として総合診療医が必要になっています。しかし市立稚内病院は歴史的に、内科がいわゆる総合内科として診療を行ってきており、内科では何でも診るのが大前提です。現在プログラムを履修している大塚勇太郎医師は、将来的に上川管内中川町で働く夢を持っていますが、「総合診療は、そういう地域の病院・診療所で働くためには必要な能力で、当院はそれを学ぶ環境としてはベストです」と國枝院長は胸を張ります。

専門だけを診る医者にはなりたくなかった

内科常勤医でもある國枝院長は、1983年に北海道大学医学部を卒業後、第三内科(現在の消化器内科)に入局しました。専門は血液内科ですが、「大学以外では、血液の専門医として働いた期間は短いですね。総合内科的な働き方を長くしてきました」と語ります。國枝院長の若いころは、大学医局が地方の関連病院に若い医師を出張医として送ることで、地域医療が守られていました。國枝院長も当時、初めての地方関連病院で総合内科的な働き方を経験し、その後も釧路管内標茶町や日高管内平取町など、地域の町立病院等で総合内科医として働きました。「若いころから、いろいろな患者さんを診ることが好きで、血液だけを診る医者にはなりたくありませんでした」と振り返ります。

若手時代にも、市立稚内病院で10か月間働いた経験があり、「セレクションが全くかからずに患者さんがやって来て、ありとあらゆる疾患を診ました」。一方、地域では医療不信が根強く、「若い医師たちが一生懸命やっているのに、苦労して疲弊しているのを見て、将来はこうした地域で若い医師たちと一緒に汗を流すのも面白いだろう」と考えていました。米国留学後、当時の教授から「稚内に行ってくれないか」と言われた際、断る理由はなかったといいます。

若手医師のキャリアのプラスになる環境
稚内で働けば、どこに行っても困らない医者に

若い医師に稚内へ来てもらうためには、「彼らを学問的にサポートし、当院で働くことがキャリアのプラスになる環境を整えなければならない」と國枝院長は考えています。専門診療をサポートするため、自らも多くの専門・認定医資格や認定施設基準を取得しました。新専門医制度も追い風になっています。内科の場合、3~5年間に多様な症例を診なければなりませんが、専門内科を回ると症例が集められないといいます。しかし、「当院で1年間でも働けば、いろいろな症例が診ることができて、レポートもたくさん書けます」と、メリットをアピールします。

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初期臨床研修医の確保にも力を入れており、國枝院長の就任後、10人近い医師が市立稚内病院で初期研修を受けました。「1人来ると、そのつながりで後輩が来てくれます。彼らとは現在も連絡が絶えておらず、皆、戻って来たいと言ってくれています。うれしいですね」と顔をほころばせました。かつて医療不信の強かった地域では、國枝院長の講演会をきっかけに、市民有志が「応援団」を結成し、病院を支える活動が盛んになっています。「もちろん励まされはしますが、現場で働く若い医師は、今も根強い医療不信を経験します。しかし逆に言えば、この地域を1年経験すれば、どの地域に行って、どんな患者を診ても、びくともしない医者になります」。

メッセージ

外来で患者さんを診るということは、同じような患者さんを診ることの繰り返しですが、中にはとんでもない病気が混じっています。いわば、たくさんの砂利の中から金を見つけるような面白味が、この病院とこの地域にはあります。当院を取り巻く医療環境は、良い医者を育てるにはかっこうです。1年でも2年でも働けば、どこに行っても困らない医者になれます。実際、当院で研修した医師に話を聞くと、他院で研修した医師よりも、しっかりした仕事ができており、指導医の信頼も厚いようです。そういう病院でぜひ働いてみませんか?

市立稚内病院のほかの
医療スタッフのインタビューもご覧ください

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